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HEINZJAPAN
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■「本物」の品質にこだわって創業
ハインツの創業者ヘンリー・ジョン・ハインツは、1844年10月11日、アメリカのペンシルバニア州ピッツバーグで、煉瓦工場を経営する父親と、家庭菜園を営む母親の長男として生まれました。ヘンリーは幼い頃から商才のある子供でした。ほどなく母親の菜園を手伝い、やがてそこで収穫した野菜を売り歩くようになりました。食品事業の基礎はこの頃すでに身につけていたのです。

 

history001_ph0312歳になる頃には家庭菜園を拡大。15歳の時に売れ残った野菜を無駄にしないよう、瓶に詰めて販売することを思いつきます。その時ヘンリーが選んだのは、地元で栽培される上質なホースラディッシュ(西洋わさび)でした。当時、ホースラディッシュの瓶詰めはすでにありましたが、色つきの瓶に入っていました。そのため、商品の鮮度が分からないばかりか、他の野菜が代用されていたり着色料や防腐剤が入っていたりするものがほとんどだったのです。

 

これでは、本当はどんなものが入っているのか分かったものではありません。消費者は疑心暗鬼になっていました。そこでヘンリーは製品にごまかしのないことを証明するため、中身がよく見える透明の瓶に詰めて販売しました。これが当時の消費者に好感を持って迎えられたことが、後のハインツ社の設立につながっていきました。以来ハインツ社は食品産業だけでなく、食の安全もリードする企業としてグローバルに成長していきました。

 

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ハインツは現在、200以上の国々で展開。
そのうち、50か国以上でNo.1またはNo.2のシェアを持っています。

 
 

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■日本の洋食文化をけん引する会社に
1961年に日魯ハインツ株式会社として創業してから10年間は、米国から商品を輸入してそのまま販売していました。しかし、アメリカの味はなかなか日本人に受け入れられませんでした。
そこで、米国本社は米国司厨士協会の会長を勤めたこともあるシェフのポール・レスケを日本に送り込みました。レスケは、丸の内ホテルの総料理長で全日本司厨士協会の会長だった斎藤文次郎の案内で日本中のレストランを数週間食べ歩きました。そして、その味わいが本国とあまりに違うことに驚きます。日本には、西欧の食文化を取り入れながらもご飯に合うように独自に進化した「洋食」という食文化が花開いていたのです。
 
 
「日本で成功するためには、日本人の舌にあった独自の商品開発が必要だ」

 
 

レスケは日本向けの商品開発をするにあたり、斉藤氏に日本の食文化を理解した日本人シェフを紹介するように頼みます。このとき、斎藤氏が推薦したのが、丸の内ホテルの部下であり、全日本司厨士協会の第一回欧米派遣団から帰国したばかりだった稲田英男でした。気さくで温厚な人柄で緻密で妥協を許さない仕事ぶりが高く評価され、日本ハインツの商品開発シェフに抜擢されたのです。

 

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稲田は、商品開発にあたり、自分が厨房で不満に感じているあることを思い出していました。それは膨大な手間やコストのかかるデミグラスソースの仕込みでした。

 

デミグラスソースは発祥の地フランスではすでに廃れていますが、日本では「洋食」を代表するソースとして愛されてきました。一方でとても時間と手間を必要とするものでもありました。献立に欠かせないとはいえ、この時間と労力をお客様に出す料理作りに使えたら…と、稲田は考えたのです。

 

こうして稲田は米国のハインツ社でも着手していなかった、デミグラスソースの商品化に着手しました。シェフならではの「厨房と同じ作り方」にこだわりつつも、その過程では和菓子の餡を製造する機械を導入するなど、日本人ならではの発想で、ついに1970年、業務用デミグラスソースを発売。2年後には家庭用のデミグラスソースとホワイトソースを発売し、日本の食卓に洋食の風を巻き起こしたのです。

 
 

 

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